鍼灸鷄肋ブログ

鍼灸に関する内容や日々の出来事を紹介します。世田谷区祖師谷「鍼灸指圧自然堂」から発信しています。

鍼灸抜萃に学ぶ その四

金元医学の影響について 前編

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「気の論治」に「丹渓がいわく、一身を周流して以て生命をなすものは気なり。」また、「子和曰く、天地の気常になるときはやすく、変するときは止む。」とある。丹渓とは朱震亨(1281-1358)、子和とは張従正(1156-1228)のことである。そして、劉完素と李杲の四名の著名な医学者を合わせて金元四大家と呼んでいる。

中国においても長い歴史の中で、さまざまな流派や学派が生まれ、試行錯誤の中で変化を繰り返している。上記著書の内容は湯液(日本では漢方)が主(?)となるが、考え方は鍼灸医学にも影響を与えているし、鍼灸治療に言及されている個所も少なくない。

丹渓は「それ気血通和すれば、万病生ぜず。」という考えにより、気血の流れ・調和を重視し、気血の失調を病の原因と考えた。そこで雑病四字法ともいわれる「気・血・痰・欝」という概念を提唱している。丹渓の著書である「丹渓心法」から六欝の項を次に記し、鍼灸抜萃に学ぶ その二で取り上げた「鍼灸重宝記」の記載と比較してみる。六欝の各症状は似ているが、脉状が一致しないものがいくつかある。後世派に属する蘆原桂州の「病名彙解」(1686)にある鬱症の説明は「丹渓心法」の内容と同様である。他の文献とも比較してみる必要がありそうだ。

気鬱者、胸脅痛、脈沈渋。
血鬱者四肢無力、能食便紅、脈沈。
食鬱者、噯酸、腹飽不能食、人迎脈平和、氣口脈繁盛者是。
痰鬱者、動則喘、寸口脈沈滑。
熱鬱者、瞀悶、小便赤、脈沈数。
湿鬱者、周身走痛、或間節痛、遇寒則發、脈沈細。
(一部修正)
気欝は腹脇脹満刺すごとく、痛みて舒ず。脉沈なり。
血欝は大小便紅に紫血を吐きいたみ處を移ず、脉数濇なり。
食欝は曖気呑酸胸腹飽悶いたみ不食、右脉盛なり。
痰欝は喘満気急痰嗽胸脇いたみ、脉滑なり。
熱欝は小便紅く渋り五心熱し口苦く舌乾き、脉数なり。
湿欝は身節走いたみ陰雨に遇へば發り、脉濡なり。

「丹渓心法」拾遺雑論の次の記載は、鍼灸に関していろいろと物議をかもす内容である。「鍼はすべて瀉であり、補はない。その気血をうまく押さえれば痛くない、ゆえにどこに鍼を刺すことも可能である。灸法には火の補瀉がある。もし火を補うには、艾が皮膚に至るまで、もし火を瀉すには皮膚に至らないようにする。」(意訳)
某グループで鍼に補法がないと云ったら大変なことになりますな…。灸法は温熱による補法だけでなく、火に対する瀉法も可能であると云うことである。

鍼法渾是瀉而無補、妙在押死其血気則不痛、故下鍼隨處皆可。
灸法有補瀉火、若補火、艾至肉;若瀉火、不要至。

張子和は攻下派とも称されるが、汗・吐・下の三法を治療の主軸とし、鍼灸においては刺絡を多用したことで知られている。子和の著書である「儒門事親」 汗下吐三法該盡治病詮十三には次のような記載がある。

夫病之一物、非人身素有之也。或自外而入、或由內而生、皆邪氣也。邪気加諸身、速攻之可也、速去之可也、攬而留之、何也? 今之醫者曰︰“當先固其元気、元気実、邪自去。”世間如此妄人、何其多也﹗夫邪之中人、軽則傳久而自盡、頗甚則傳久而難已、更甚則暴死。若先論固其元気、以補剤補之、真気未勝、而邪已交馳橫騖而不可製矣。

病というものは人の身体に本来あるものではなく、外から侵入(外感)したり、内から生じたり(内傷)するが、すべて邪気である。体内に入ったら、速やかに取り除かなくてはならない。引きとめて留めておくというのはどうなのよ? いま時の医者は「まず元気をつけて、元気になれば邪は自然に去るでしょう。」という。世間にはこのようなでたらめな輩がなんと多いことか。邪に侵された人は軽ければ自然に治るが、邪が甚だしい場合は治らずに長引く、さらに邪が強ければ突然死もある。それなのに元気をつけようとして、補剤で補うも、なかなか真気が勝らず、邪が暴れまわって制御不能に陥るのである。(意訳)

かの中神琴渓も補剤について「生々堂雑記」で批判をしている。本書の刊行が1793年であるのでいかに李朱医学の影響が大きいかが伺える。

(つづく)

 

中医伝統流派の系譜

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