丹沢の蛭は警鐘を鳴らす
丹沢山地に蛭(ヤマビル)が増えた理由
丹沢山地は首都圏から日帰りできるハイキング、登山コースとして人気の高いスポットである。また、神奈川県民にとっては小学校の大山登山を初め、ドライブやキャンプ、初日の出と身近な場所でもある。
ここ数年、大山や丹沢付近に行かれた方から、蛭(ヤマビル)についての話題が出ることがが多くなった。蛭がこのように広範囲に生息するようになった原因はどこにあるのだろうか。
私が学生の頃(1970後半~1980年代あたり)、幾度となく表尾根の縦走や沢登り、塔ノ岳~丹沢~蛭ヶ岳~道志に抜けるコースなど歩いたが、一度も蛭に遭遇することもなく、また注意を受けた記憶がない。もちろん、山の奥には生息していたのであろうが…。
ちょうどその頃は、ブナの立ち枯れについての問題が語られ始めた時期であったと思う。ブナの立ち枯れと衰退は大気汚染、若葉を食べるてしまうシカやブナハバチの影響、土壌の乾燥化、登山者の増加などさまざまな要因が複合的に関係していると考えられている。
当時より、川崎あたりの工場から排出される汚染された大気がいったん相模湾に出て、南風に乗って丹沢付近に戻ってくるといわれていた。これらの窒素酸化物及び炭化水素類が太陽光を浴びて生じる光化学オキシダントは光化学スモッグの原因となる物質であり、その主成分であるオゾンは植物の光合成を妨げると考えられている。
20代の頃、一度だけ植林を体験したことがある。その時、担当の人から言われたことは、立ち枯れの問題と共にシカによる被害についてであった。せっかく木を植えてもシカが新芽を食べてしまうということであった。それ以前であれば、山でシカに遭遇することは珍しく、また出会っても決して人の傍に来ることはなかった。しかし、80年後半(?)になると近くまで来て食べるものを催促するようなありさまであった。おそらく、山にエサが少なくなったことや個体数の増加などを原因として、山道までエサを求めて出没するようになり、そして、食べ物を与えてしまう登山者がいるため、人に対する警戒が少なくなったのであろう。
ヤマビルはシカをはじめとする野生動物を媒介として移動するといわれている。丹沢山地にヤマビルが増えた要因の一つは、シカの増加とその行動範囲によると考えられている。
秦野市では平成24年からヤマビル生息地での環境整備活動(対策)として、草刈り、落ち葉かき、薬剤散布等を行っているとのことである。
蛭と森の関係
蛭の増加の原因を辿っていけば、シカの増加→ブナや森の衰退→大気汚染→工場や車からの排気→社会経済活動の変化となる。その流れが直線的であるかは不明だが、連鎖しているといえるであろう。
生息範囲を拡大し、人の血を吸う蛭だけを考えれば、薬剤散布などによる駆除が選択肢として挙げられるであろう。この方法によって、一定の抑止効果が得られるかもしれないが、果たしてそれだけで問題が解決するのであろうか…。
東洋医学には「本」と「標」という考え方がある。「本」とは病の本質であり、「標」とは表面的な症状をさす。そして「病を治すには必ずその本を求む」といわれるように、「本」を治すことを治療の根本とする。
蛭と森(丹沢山地)との関係は「標」と「本」に置き換えることができる。目の前の状態(蛭の増加)を改善することも必要であるが、「本」である森の再生こそが根本的な解決につながると考えるわけである。
この問題はある意味日本、さらに世界の縮図として捉えることができる。最近話題のPM2.5も決して他人事ではないのである。一度失われた環境を取り戻すのに費やす時間は、いったいどれだけかかるのだろうか…。